私など、仏像には縁遠いがさつな人間にとって、仏像といえば、飛鳥奈良から中興の仏教が盛んとなった、鎌倉時代のものを想定し、その美術的価値というより歴史の古さから骨董品的価値に思いを馳せるが、大変な思い違いであったことをこの仏像展を観て今更ながら思い知った。
郷土博物館といえば、ご存知のように立地条件の悪さに加え、その認知度の低さから、普段はガランとして薄暗く陰気くさい感じを連想する私だが、今回の「足立の仏像」展はこのガランとした静けさがむしろ各仏像の荘厳さをかもし出させ、鑑賞する私をして心静かに魅いせられると共に、常に喧騒の中で過ごす日常生活から離れ、心の洗われる思いがした。
足立区はご存知のように、古くは伊興遺跡に見られるように、古代人が住み着いていたであろうが、歴史的には江戸幕府が開かれてより東郊の農産物供給地、さらには新田開発地域として村落が誕生したといえましょう。
解説書によれば、こうした住民の生活の中から一村一つの寺が建立されたそうだが、そこに安置されたご本尊を信仰の対象とした当時の人々の日常生活の支えとなったと思える心の内が、この仏像展は見事に再現していると思った。
この「足立の仏像」は仏教伝来の過程から見ると、なかには平安、鎌倉時代の貴重な仏像が今にして凛として伝えられているものもあるが、概ね江戸開府以来のものが多く、仏教伝来の歴史からいえば必ずしも古いとはいえない。
とはいえ、その美術的歴史的価値は江戸時代とはいえ、そこに多くの住民の日常的信仰の対象となった「足立区の仏像」は現代人の心に十分沁み入り、安らぎをもたらすに、その価値はなんら劣るものではないと思う。
特に写真でみると、その映写技術のために、金色に耀く仏像を想像するが、現物は幾星霜の時を過ごしている以上当然のことながら、当時の装飾は剥落しその姿は古色蒼然としている、それ故に又一層荘厳さを増し観るものの心を打つ。
今回この仏像展では仏像が約15体仏画20点ほど展示されているそうだが区内にはここに展示されない仏像が多々あるそうである。しかし、近々檀家の法事がある等々の理由で、ご本尊を遷座させるについて様々の寺内の事情があり出展できなかったものもあるとの事。ここに至った関係者には頭が下がる。
これらの展示に当たって、もちろん保険等万全を期してその保全に当たっているものの、万が一にも疎漏はゆるされず、ここにいたるまでの、博物館はもとより、関係者の苦労は並大抵のことではないと、その難しさは私のような素人でも感じる。こうした困難乗り越え、開催に漕ぎ付けたにも拘らず、10月20日より12月9日までの僅か50日あまりの期間での終了はいかにも残念。その理由については輸送期間に加え、ご存知の年末年始の寺の行事を勘案してのことで、やむをえない事情があったようだ。
今回この一足立という極めて狭い地区にも見事な秘仏が隠れていたのかと思うと、歴史の重さと共に先人の心の豊かさを思わずにはいられなかった。
(足立区政を見守る会 坂田賢太郎)
コメントをお書きください